コミュニティ農園で食育を

在来種が絶滅の危機に

 私たちが、普段、口にしている野菜は品種改良されたものです。
 そんな野菜のことをF1種(交配種)と言います。
 種は、毎年、種苗メーカーから買わなければなりません。

 在来種というのは、品種改良されていない昔ながらの野菜のことです。
 他に、伝統野菜とか伝承野菜・地域野菜・昔野菜などと呼ばれています。
 (ここでは、それらを総称して固定種と表現しています)
 種は、古来から脈々と受け継がれてきた自然な種を使います。

 そんな在来種は、海外ではエアルーム品種と呼ばれています。
 エアルーム(Heirloom)とは、先祖代々受け継がれてきた家宝という意味です。
 上の写真は、在来のインゲン豆です。
 自然が創り出した造形は、まさに宝石のようです。

 在来種は、栽培される地域独自の発展をとげてきました。
 また、栽培者の好みで選抜されてきたため他種多様です。
 個性的で、独自の風味やうま味を持っています。
 素材を活かす日本の食文化は、こうした在来種によって支えられてきたわけです。

 でも、そんな在来種は、今、絶滅の危機に瀕しています。
 それは、流通に適したF1種に塗り替わっていったからです。
 F1種は、生育が早いとか、均一に育つとか、たくさん収穫できるとか...
 生産者に多くのメリットを与えます。
 そのため、在来種を栽培する農家は消滅の一途をたどっています。
 栽培(採種)をやめてしまうと、当然、その種は途絶えてしまいます。
 今では、一般市場に在来種が出回ることは、ほとんどありません。
 伝統野菜として販売されてはいても、裏を返せばF1種というのが実状です。
 こうした流れは、堰き止めることができません。

 この社会では、どうしても経済効率が優先されることになります。
 つまり、利益を生み出せるかどうかが基準になって物事が動いていくわけです。
 たとえば、上の写真のインゲン豆はツル性(蔓性品種)です。
 ツル性の豆は、支柱やネットに這わすようにして栽培します。
 大豆や小豆のように機械による刈り取りができません。
 手作業での刈り取りは手間がかかり、とても採算に合いません。
 そのため、後継ぎが現れません。
 したがって、ツル性の豆を栽培する農家は、年々、減っていきます。
 このように、利益を生み出せないものは淘汰の道をたどるしかないわけです。

素材を活かす食文化の崩壊

 こうした経済主導の社会では、多様性がどんどん失われていきます。
 野菜は、工業製品のように規格化され、個性が無くなりました。
 見た目だけでなく、野菜本来が持つ風味も無くなりました。
 そして、甘い野菜こそが美味しいという風潮を生み出しました。
 今では、味付けは、調味料で思いのままにできます。
 そして、甘味料で、いくらでもごまかすことができます。
 もはや、素材の味を楽しむという食文化は、成立しなくなってきたわけです。

 たとえば、在来種の大根は、辛みや苦み・甘みなどが混じった複雑な味です。
 味の属性が多いと、どうしてもバラツキが出てきます。
 大根ごと(また部位ごと)に、味が微妙に異なってくるわけです。
 外食産業では、こうした素材は扱えません。
 均一な味が出せないと、おでんの具としてお客さんに提供できないからです。
 無味な大根であれば、味付けは容易です。
 調味液に浸けるだけで、消費者好みに仕立てることができるのですから...

 こうした食の変貌は、私たちの味覚にも大きな影響を与えました。
 化学調味料の刺激的な味に慣らされ、味覚が麻痺してしまったのです。
 本来の味覚の役割は、毒など身体に悪いものを避けるということです。
 そして、必要な栄養素を嗅ぎ分けるということです。
 そんな、動物的な感覚が鈍ってしまったのです。

 そして、インスタント食品などで栄養が偏ったり...
 ジャンクフードがやめられなくなったり...
 食べる量を制限できずに肥満に陥ったり...
 こうした嗜好(感覚)の歪みは、自分で気付くことはできません。
 そして、それが当たり前になって、無くてはならないものになっていきます。
 価値観や考え方も変えられていくわけです。
 したがって、改善することが難しいのです。

伝統野菜(在来種)で食育を

 特に心配なのは、子どもたちの未来です。
 子どもたちは、食についての判断基準を持ち合わせていません。
 世間の風潮に流され、操られていくしかありません。

 そこで、重要視されるようになってきたのが食育や感性教育です。
 でも、それは、単に知識を与えるというだけでは意味がありません。
 自らで、主体的に判断していける力を育成することが真の目的になります。
 そのために重要なのは、感覚や感性です。
 何よりも、把握する力の育成が大事ということです。
 把握する段階で間違うと、当然のこと正しい対応(判断)ができません。
 そういったことは、体験によって学んでいく(磨いていく)しかありません。

 そこで、脚光を浴びるようになってきたのが伝統野菜(在来種)です。
 伝統野菜が、食育のテーマとして扱われるようになってきたのです。
 そして、各地域で地元の伝統野菜の復活が試みられるようになってきました。

 学校では、体験学習として地元の伝統野菜を収穫したり...
 学校内で、実際に伝統野菜を育ててみたり...
 それを、給食で食したり...
 こうした体験によって、食の原点にも目が向くようになります。
 そして、事実に沿った把握や思考もできるようになります。
 また、味覚が磨かれ、味の奥深さを知ることにもなります。

 伝統野菜を育て、実際に食べてみる。
 そして、採種した種を下級生へ引き継いでいく。
 これは、大きな意味を持ちます。

 地域に根ざした種は、真の(種から)地産地消を実現します。
 そして、適地適作(土地の風土に順応)を実現します。
 適地適作であれば、少々の環境の変化にも対応できます。
 肥料も必要ありません。
 虫害や病害も防げます。
 コストも削減できます。
 環境への負荷も軽減できます。
 適地適作によって初めて、持続的な食の確保が可能になるわけです。

 このようにして、健全な種を未来に伝えていく。
 これは、人類が、これからも生き延びていく上で必須のことです。
 (種が無くなると、当然、従属栄養生物である人類は絶滅してしまいます)
 種という根本に立ち返ることで、食の本質が見えてきます。
 自らで食を守っていくという主体性も、そこから生まれてくるのです。

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